磨崖クルス
磨崖クルス
キリスト教が盛んだったころ、ここ野津には14~15の十字架があり、それを「クルスバ」と呼んでいた。自然石をそのまま用いて、その表面に十字架を彫っていた。キリシタンの信仰を表すとともに、祈りの場でもあった。
この磨崖クルスは最初からこの場所にあったというより、この上の小高いところにあったものが落ちてきたものだと考えられる。1933年に発見された時、この十字架が彫られた面は地面に伏せられていたと言われる。だからこそ、厳しいキリシタン弾圧化にあっても破壊されることなく、歴史的遺物として残ったのであろう。
この磨崖クルスは、平らになった前面に直径63㎝の円形の浅いくぼみがあり、その中に高さ53㎝、横38㎝と13㎝の千十字架が浮き彫りにされている。
町指定有形文化財の説明
磨崖クルス
町指定有形文化財
町指定有形文化財
円の中に雲形台に乗った千十字章を陽刻したものである。
成立年代は不明であるが、大友宗麟が豊後を治めていた時代に、野津院寺小路村にあったとされる到明寺を教会として使用していたと言い伝えられており、そのころに作られたものではないかと思われる。
これが、キリシタン弾圧期をくぐり抜けてこられたのは、
成立年代は不明であるが、大友宗麟が豊後を治めていた時代に、野津院寺小路村にあったとされる到明寺を教会として使用していたと言い伝えられており、そのころに作られたものではないかと思われる。
これが、キリシタン弾圧期をくぐり抜けてこられたのは、
①この付近は、江戸時代には御上山(臼杵藩の直轄地であったため医師の採掘が自由にできなかった。
②大正から昭和の初期頃に地域に人たちがたまたま発見するまで、自然なものか人為的なものかわからないが磨崖クルスの彫り込まれた面は地面に伏せられていた。
などの状況があったためではないかと思われる。
②大正から昭和の初期頃に地域に人たちがたまたま発見するまで、自然なものか人為的なものかわからないが磨崖クルスの彫り込まれた面は地面に伏せられていた。
などの状況があったためではないかと思われる。
指定年月日 昭和四十八年十二月十日
管理者 平山茂樹 氏
所在地 野津町大字宮原字寺小路
野津町教育委員会
磨崖クルスへのアクセス
野津ルルドの丘から国道10号線に出て佐伯方面へ少し進むと左手に「磨崖クルス」の表示がある。
駐車場:短時間であればこの場所の空地か、もう少し先のコンビニの駐車場に駐車可。
トイレ:無
注意:大した距離はないが、足元が悪いのと、虫刺されに注意。