デウス堂跡
デウス堂の説明
フロイスの『日本史』によると、大友宗麟は1552年に来日したガーゴ神父らに土地を与えており、そこに府内での最初の教会が1553年7月21日に落成し、「慈悲の聖母」(Nossa Senhora da Piedade)に献堂されている。
1557年、山口から移って来たドルレス神父らに宗麟は新たな土地を提供したので、そこに教会や修道院が建設され、病院や育児院も建てられた。大分歴史資料館蔵の『戦国時代府内町絵図』で、大友屋敷の西側に「キリシタンノコト ダイウスドウ ケントク寺」という文字が読み取れるが、これがデウス堂(教会)と考えられる。そして、府内病院はその北側に建てられ、アルメイダらが診療を行った。なお、この病院の運営・管理のため、日本で最初の「ミゼリコルディアの組」が創設された。
1557年、山口から移って来たドルレス神父らに宗麟は新たな土地を提供したので、そこに教会や修道院が建設され、病院や育児院も建てられた。大分歴史資料館蔵の『戦国時代府内町絵図』で、大友屋敷の西側に「キリシタンノコト ダイウスドウ ケントク寺」という文字が読み取れるが、これがデウス堂(教会)と考えられる。そして、府内病院はその北側に建てられ、アルメイダらが診療を行った。なお、この病院の運営・管理のため、日本で最初の「ミゼリコルディアの組」が創設された。