竹田洞窟礼拝堂
竹田洞窟礼拝堂
竹田洞窟礼拝堂
県指定史跡
キリシタン洞窟礼拝堂
所在地 竹田市大字竹田2044
指定 昭和33年3月25日
凝灰岩をくり抜いたこの洞窟は、14世紀頃のローマの洞窟礼拝堂によく似ている。こうした点で洞窟礼拝堂としては全国では例を見ない。
内部は、幅3メートル、奥行き3メートル、高さ3.5メートルで、正面奥の壁をほりこみ祭壇として使用していたと考えられる。この洞窟に関係すると思われる資料『日本切支丹宗門史』に、「宣教師フランシスコ・ブルドリノが伝道に従事した地方(竹田・直入地方)即ちシンガ(志賀?)の殿の一人が、神父の居所を知りながら、眼を閉じていた」とある。
豊臣秀吉はキリスト教の禁止を行った。江戸幕府もこの政策を引き継いで強化し、島原の乱(1637~38年)から、全国的にキリシタンの大弾圧が行われた。岡藩においても例外ではなく、元和5年(1619年)10月に宗門改めを始め、翌年から厳しいキリシタン狩りを行い、多くのキリスト教信者が捕らえられた。
このような厳しい時代を経て、この洞窟礼拝堂が伝え残されたことは貴重である。
平成10年3月
竹田市教育委員会