新司祭と神学生ニュースレター【7/2更新‼】
安部 純 神学生(大学1年生)
神学生ニュースレター7月号
先日梅雨が明けこれから厳しい暑さが続くと思うとあまり良い気分ではありませんが、適度な水分補給と休憩を取りながら熱中症などの対策を心がけていきたいものです。特に日中屋外で過ごす時間が多い方は十分お気をつけください。
さて7月の教区報をお読みになった方はご存知かと思いますが、私は今月末よりイタリアのローマに行ってまいります。なぜローマに行くことになったかと申しますと教皇庁が主催する聖年の公式行事に参加するためです。今年2025年は聖年の期間を過ごしていますが、バチカンでは聖年に関連した祝祭というものが行われています。詳しくは中央協議会のホームページに日程表が掲載されていますので、そちらをご覧ください。その中で青年の祝祭というものが7月末にあり、私はその行事に参加することになります。主な内容としては聖年の間しか開かれない聖なる扉をくぐり、ローマ各地で行われるイベントに参加します。そして最終日にはレオ14世教皇様が司式するミサに与ることになります。今回の行事は世界各地から数多くの若者がローマに集まります。私としては初めての海外ということで何があるのか全く想像ができません。しかし同じ信仰を持つ仲間と共に一つになることができればと思います。教区報にも書きましたが初めて新しい教皇様のミサに与ることになります。ミサの中で大分教区の皆さまのために祈りを捧げますので、皆さまも離れたところから私のために祈っていただけたらと思います。そして最後まで無事に帰国できるよう合わせてお祈りください。
6月号ニュースレター
朝晩の日照時間が長くなり、日中も暑さを感じるようになりました。宮崎の方はすでに梅雨入りしており、季節の変わり目ということで皆さまも体調の変化には十分お気を付けください。
先日は野津のルルド祭に初めて参加させいただきました。当日は神父様方や青年たちと共に朝6時に大分教会を出発しルルドの丘まで30㎞近い道のりを6時間ほどかけて歩いていきました。前半はほとんど平坦な道でしたのでそこまで負担はありませんでしたが、後半になると坂が険しくなり、上り下りの連続で足だけではなく膝や太股にも負荷がかかり痛みに耐えながら歩くことになりました。最後まで歩けるかどうか不安でしたが途中で休憩を何度か挟んだこともあり、おかげさまで無事に完歩することができました。急に雨が降り出しミサが前倒しになることになりましたが、長時間歩いた後のミサは何か特別な恵みを頂けたように感じます。今回前日の準備から当日の後片付けまで手伝わせていただきましたが、皆さまのチームワークに素晴らしさを感じました。今後は私自身も神学生として皆さまのお役に立てるように頑張りたいと思います。
6月はイエスのみ心の月ですが、今年は日曜日がすべて祭日にあたっています。特に聖ペトロ・聖パウロ使徒の祭日が主日と重なったことにより今年は日曜日に祝われます。先日のコンクラーヴェで新しい教皇に選出されたレオ14世教皇様が聖ペトロの後継者として私たちを導いてくださるようともに祈ってまいりましょう。
ニュースレター5月号
皆さま主のご復活おめでとうございます。今年もこうしてイエス様の復活をお祝いできることを嬉しく思います。ただ、今年は例年とは違う復活祭となりました。皆さまご存知のようにフランシスコ教皇様が亡くなられたからです。教皇様が私たちに語られた最後の言葉ともいえる今年の復活祭のメッセージ、その中には今も紛争のさなかにあるパレスチナとイスラエルの人々に思いを寄せる言葉がありました。フランシスコ教皇様は死の直前まで苦しんでいる人々に心を留め、世界の平和を願われていたのだと感じることができます。教皇様のこれまでの歩みの中で、私の印象に残っているのはやはりこの日本を訪問してくださったことです。当時私は中学1年生で長崎の小神学校に入った年でしたので何かの思し召しなのか、はたまた偶然なのかと思う所がありました。しかしその考えは予想をはるかに超えるものとなりました。当初の予定では、長崎県営野球場でのミサに与るだけの予定でした。ところが直前になって大司教館で教皇様の歓迎と謁見をすることとなり、まだ直接お会いもしていないのに、緊張が止まりませんでした。忘れもしない11月24日の来崎当日の朝、長崎は雨でした。雨に打たれながら爆心地公園と西坂で教皇様をお迎えした方々には非常に申し訳ないと思いながらも、大司教館の中で教皇様の到着を待つことになりました。しばらくして警察車両を先頭に長い車列がやってきました。正面玄関から髙見大司教様と共に教皇様が来られ歓迎の挨拶をし、その後一人ひとり握手をされました。私は神学生の中で一番最初でした。教皇様は緊張している私に優しいまなざしを向けられ、私と握手をしてくださいました。その時教皇様の手から温もりを感じたことは今でもよく覚えています。その後教皇様の紋章が付いている特別なロザリオを頂き、大司教館を後にしました。それからは皆さまご存知のように県営野球場でミサが執り行われ、教皇様は次の訪問地である広島へ向けて長崎を離れていきました。
教皇様が亡くなられたことにより、間もなく次の教皇を決めるコンクラーヴェが行われます。どなたになるかは分かりませんが、神様にすべてを委ねて新しい教皇様をお迎えできればと思います。そしてこの夏、私は聖年の行事に参加するためローマを訪れる予定になっています。まさか教皇様が代わることとなり、新しい教皇様にお会いすることになるとは思ってもいませんでしたが、素晴らしい時を過ごすことができればと思います。引き続き教皇様のためにお祈りしてまいりましょう。
新司祭 ミカエル 山頭牧夫
2025年7月号
大分教区メッセージレター 2025 7月号
九州北部では、観測史上初の早さで梅雨が明けてしまいました。田畑の作物、ダムの水など心配する事は沢山ありそうです。しかし、まずは皆様がお元気でおられることを願っております。いかがお過ごしでしょうか。
こちらでは、近くの田んぼの穂が実り始めているのを見て、宮崎というのは暖かい(暑い?)場所であることを再確認いたしました。また、個人的には初ミサで様々な教会に挨拶に向かわせていただいております。温かく迎えてくださる皆さま、そして、主日に出かけることを許してくださる主任神父様をはじめとする、宮崎教会の皆さま本当にありがとうございます。
さて、早いものでもう7月になりました。「イエスのみこころ」の月が終わって最初の日が、福者ペトロ岐部カスイ神父と187殉教者の祝い日です。イエスが私たちを救おうとされる想いに応えていった私たちの先輩方であることにメッセージを感じずにはいられません。そして先日私たちは「聖ペトロ聖パウロ」を祝いました。彼ら人の力を超えた力、彼らの示した「あかし」の大きさにはいつも驚かされます。これほどに雄大で雄弁な「信仰宣言」はありません。命、生涯のすべてをかけて行った「信仰宣言」です。
イエス様がいつも、そして今日も問われます。
「あなたがたはわたしを何者だというのか。」
私、そして私たちは神様が私たちを愛してくださること、そのためにイエス様が命を懸けてくださることを信頼しています。この信仰は決して孤独なものではありません。ともに信じ、ともに生きる仲間を頂いている。現代の物質主義・排他主義という迫害、誘惑の中に私たちは生きています。この中で先輩方から受け継いできた信仰を、自信をもって生きていきたい。私だけの力ではない、教会の仲間がいること、そして「天の父が最初に」私たちに現わそうとされるお恵みに信頼して。
6月大分教区ニュースレター
2025大分教区メッセージレター六月号「マリア様」
聞いたこともない早さで梅雨に入ってしまったこの頃、皆様の体調、畑や田んぼのコンディションが心配です。いかがお過ごしでしょうか。私のほうでは聖書講座をスタートいたしました。まだまだ勉強中の私ですので、聖書講座というよりも、皆さまと一緒に福音を読んでいるといったほうが正確ですね…
ただいま五月の終わりにこのメッセージを書いているところです。本日は聖母の訪問の日だったのですが、教会の玄関のマリア像の近くに亀が訪問しておりました。亀も何か思うところがあったのでしょうか。
さて、聖母月に合わせて都城のドミニコ学園に行く機会がありました。マリア様の事を祝う聖母祭に参加したんですね。み言葉の祭儀のあとで、生徒たちが自身の保護者に直接お礼の手紙と、言葉を送っておりました。中には、抱きしめあって感謝を示す家族を見て、なんだか心が温かくなるような思い、がしたのを憶えております。
お礼を言う側、言われる側、共に嬉しそうな顔をしている。豊かな関係性を感じずにはいられません。マリア様は自分につながる人たちを、さらに強く豊かな関係に導かれることを目にしました。
マリア様には尊敬する点がたくさんあります。中でも、イエス様との関わりに触れずにはいられません。自分の理解を超えたお告げを聞いても、命の与え主である神様への絶対の信頼をもって、イエス様の母となられました。マリア様は神への信頼のうちに、実践される方でもありました。遠いエリザベトの家に急いで向かっていった。そして、どんな時もイエス様と共におられました。それは、喜びの時も、悲しみ、苦しみの時もです。
どんな時もイエス様に強くつながっておられた。だからマリア様は私たちのお手本なんです。私たちも、マリア様のようにイエス様とつながることを求め続けていくことが出来ますように。かかわる相手を諦めない、助け合い、支えあっていくものとなりますように。
大分教区メッセージレター 5月号
「主の平和につながって」
主のご復活おめでとうございます。そして、私たちの復活おめでとうございます!
そして、教皇フランシスコの永遠の安息を確信しながら祈ります。
皆様は五年前の出来事を覚えていらっしゃるでしょうか。教皇フランシスコが日本に来日した時の事です。私は大神学校に入って一年目でした。もし、一年でもタイミングがずれていたら、教皇ミサで侍者をすることもなかったことを思うと、なんだか不思議な心持ちです。
ミサが終わると、パパ様が神学生一人一人に握手をして、皆に言葉をかけてくださったことを今でも覚えております。とても温かい人柄を感じました。そして、そのミサの中で、初めて祭服をいただきました。これは私が生まれて初めてもらった祭服でした。この祭服をいつか身に着けることを思うのは、大きな励みとなりました。
そして、教皇フランシスコは多くの文書を残しました。その中でも、私が強く印象に残っているのは「ラウダートシ」「愛するアマゾン」「兄弟の皆さん」の3つです。最初は、なんで教会が環境問題についての文書を出すのだろうか?それよりも別のメッセージを出すべきではというのが正直な感想でした。教会と環境問題、どんな関係があるのかと。
結果から言えば、関係大アリでした。地球規模の視点から、私たちと環境のつながりをとらえた「ラウダートシ」。そして具体的な場所を出すことで、私たちが生きる場所とのつながりが明確になった「愛するアマゾン」。アマゾンを自分たちの住む場所に置き換えるなら、より私たちがやるべきことが見えてきます。「愛する日本、平戸、大分、宮崎」ならイメージはより明確になります。そして「愛する兄弟」が出されました。つながりの対象は大きな視点から、細かい視点へと移っていきます。地球規模のつながりから、ついに人間同士のつながりに目が向けられていきました。 教皇フランシスコはいつも人間、人間たちの豊かな関係が生まれることに神経を注いでいたんです。
つまり、神の与えた恵みに、神のかたどりである人間に無関係なものなどない。すべてはつながっている。彼は特に、弱い人、弱くされた人、顧みられない人たち、傷ついた人たちの事についてメッセージを発信しました。彼らが強められ、人間らしい扱いを受け、癒されること、これ以上悲しい思いをしないことを望んだ。彼のメッセージは平和に向けられたものが多く発信されました。平和こそが彼の願いだったんです。
では、平和とは何なのでしょうか。見た目の上で争いが起きていないことでしょうか? 一時的であっても、争いがないこと自体は良い事です。そのことに異論はありません。しかし、平和とはそんな消極的なものなのか。もっと積極的なもののはずです。
福音の中で、復活したイエスによって平和が語られます。「あなた方のうちに平和があるように。」二度、三度と語られていきます。復活したイエスの与える平和によって何が起きたのか。イエスの平和によって、弟子たちの生き方が変わっていきます。最初弟子たちは、ユダヤ人を恐れて、自分たちのいる家の戸に鍵をかけていたとあります。鍵をかけ閉じこもって、隠れていました。兵士につかまるかもしれないと、家にも自分の心にも鍵をかけてしまいました。
しかし、イエス様に会ってこれまでの絶望が取り去られていく。イエス様によって弟子たちの生き方が根底から変わっていく。彼らは大いに喜びました。「イエス様の傷に触れるまではイエス様の復活を信じない。」このように言ったトマスは、信じないものからイエス様に会うことで信じる者に、変えられました。イエス様の与える平和とは強い繋がり、豊かな関係における喜びの事でした。この豊かな関係に招かれていることを、この恵みが与えられていることを、フランシスコは伝え続けました。
そして私たちは、ミサの中で平和のあいさつを交わします。私たちが豊かな関係性の中に生きていることを確認し合い、そして、主の与える平和が私たちを新しい者へと変えようとすることを望むやり取りです。神が私たちを真の平和に導いていることに信頼して祈りを続けてまいりましょう。主の平和につながって