新司祭と神学生ニュースレター【5/2更新‼】
安部 純 神学生(大学1年生)
ニュースレター5月号
皆さま主のご復活おめでとうございます。今年もこうしてイエス様の復活をお祝いできることを嬉しく思います。ただ、今年は例年とは違う復活祭となりました。皆さまご存知のようにフランシスコ教皇様が亡くなられたからです。教皇様が私たちに語られた最後の言葉ともいえる今年の復活祭のメッセージ、その中には今も紛争のさなかにあるパレスチナとイスラエルの人々に思いを寄せる言葉がありました。フランシスコ教皇様は死の直前まで苦しんでいる人々に心を留め、世界の平和を願われていたのだと感じることができます。教皇様のこれまでの歩みの中で、私の印象に残っているのはやはりこの日本を訪問してくださったことです。当時私は中学1年生で長崎の小神学校に入った年でしたので何かの思し召しなのか、はたまた偶然なのかと思う所がありました。しかしその考えは予想をはるかに超えるものとなりました。当初の予定では、長崎県営野球場でのミサに与るだけの予定でした。ところが直前になって大司教館で教皇様の歓迎と謁見をすることとなり、まだ直接お会いもしていないのに、緊張が止まりませんでした。忘れもしない11月24日の来崎当日の朝、長崎は雨でした。雨に打たれながら爆心地公園と西坂で教皇様をお迎えした方々には非常に申し訳ないと思いながらも、大司教館の中で教皇様の到着を待つことになりました。しばらくして警察車両を先頭に長い車列がやってきました。正面玄関から髙見大司教様と共に教皇様が来られ歓迎の挨拶をし、その後一人ひとり握手をされました。私は神学生の中で一番最初でした。教皇様は緊張している私に優しいまなざしを向けられ、私と握手をしてくださいました。その時教皇様の手から温もりを感じたことは今でもよく覚えています。その後教皇様の紋章が付いている特別なロザリオを頂き、大司教館を後にしました。それからは皆さまご存知のように県営野球場でミサが執り行われ、教皇様は次の訪問地である広島へ向けて長崎を離れていきました。
教皇様が亡くなられたことにより、間もなく次の教皇を決めるコンクラーヴェが行われます。どなたになるかは分かりませんが、神様にすべてを委ねて新しい教皇様をお迎えできればと思います。そしてこの夏、私は聖年の行事に参加するためローマを訪れる予定になっています。まさか教皇様が代わることとなり、新しい教皇様にお会いすることになるとは思ってもいませんでしたが、素晴らしい時を過ごすことができればと思います。引き続き教皇様のためにお祈りしてまいりましょう。
ニュースレター4月号
随分とご無沙汰になってしまいましたが、また今月から再開することになりました。間もなく聖週間、ご復活祭を迎えるにあたり皆さまもその準備に励まれていることだと思います。あるいはこの4月から新しい場所での歩みを始められた方もいらっしゃるかもしれません。実際私もそのうちの一人です。3月をもって6年間過ごした長崎を離れてこの4月からは大分で神学生としての養成を受けることになります。本来であれば長崎の小神学校を卒業した後は福岡にある長崎教会管区立の神学校、福岡コレジオに進むことになる予定だったのですが、ご存じのようにこれまで東京と福岡にあった2つの大神学校が東京に一本化されることとなり福岡カトリック神学院の閉校に伴い福岡コレジオも同じ形を取ることになりました。そのため大神学校に進むまでの期間は各教区の方針に従って養成を受けることになりました。大分教区の場合、神学生が私一人ということもあり明野教会の敷地内にある建物で一人暮らしの生活を過ごすということになりました。すでに住み始めてから2週間ほど経ちますが、初めてのことばかりで苦労が絶えません。しかし、良い機会だととらえ、何事にも立ち向かうことができればと思います。更には大学の勉強やアルバイトも始まります。自分の目標を明確にして自分自身のスキルを磨くことができるように頑張りたいと思います。そして今まで以上に教区内外の教会行事にも参加することになります。神学生として自分に与えられた務めを果たすことが出来ればと思います。これまで直接交わる機会がなかった皆さまにもお会いすることが増えることを心から嬉しく思います。是非、私をお見かけしたらお声がけいただけるとありがたいです。引き続き神学生のため、召命のためにお祈りとご支援を頂けたら幸いに存じます。最後になりましたがこれからどうぞよろしくお願いします。
ニュースレター1月号
大分教区の皆さま、新年明けましておめでとうございます。先日主のご降誕を迎え、そして聖年の歩みも始まり喜びの内に2025年の日々を過ごしていければと思います。
さて年が明け神学校での生活も残り僅かとなりました。卒業は3月ですが2月からは仮卒業となるため神学校を出ることになります。少しづつ荷物の整理を始めなければと思っているのですが、6年の間に大量の荷物が増えてしまい整理整頓に時間がかかりそうですので、必要最低限のものだけにしようかと考えています。
そしてお知らせがあります。この度、1月の18日と19日に小神学生と養成担当の神父様方で大分教区を訪問することになりました。本来であればもう少し早い段階での計画があったのですが諸般の事情によりこの時期にずれ込んでしまいました。日程の都合で宮崎だけになると思いますが、ご都合のつく方は是非来ていただいて、神学生のことを知っていただき、お祈りと励ましの言葉を掛けていただけたらと思います。来るのが難しい方も神学生のため、そして大分教区のさらなる召命のために祈っていただけたら幸いです。皆さまにお会いできるのを楽しみにしております。
新司祭 ミカエル 山頭牧夫
大分教区メッセージレター 5月号
「主の平和につながって」
主のご復活おめでとうございます。そして、私たちの復活おめでとうございます!
そして、教皇フランシスコの永遠の安息を確信しながら祈ります。
皆様は五年前の出来事を覚えていらっしゃるでしょうか。教皇フランシスコが日本に来日した時の事です。私は大神学校に入って一年目でした。もし、一年でもタイミングがずれていたら、教皇ミサで侍者をすることもなかったことを思うと、なんだか不思議な心持ちです。
ミサが終わると、パパ様が神学生一人一人に握手をして、皆に言葉をかけてくださったことを今でも覚えております。とても温かい人柄を感じました。そして、そのミサの中で、初めて祭服をいただきました。これは私が生まれて初めてもらった祭服でした。この祭服をいつか身に着けることを思うのは、大きな励みとなりました。
そして、教皇フランシスコは多くの文書を残しました。その中でも、私が強く印象に残っているのは「ラウダートシ」「愛するアマゾン」「兄弟の皆さん」の3つです。最初は、なんで教会が環境問題についての文書を出すのだろうか?それよりも別のメッセージを出すべきではというのが正直な感想でした。教会と環境問題、どんな関係があるのかと。
結果から言えば、関係大アリでした。地球規模の視点から、私たちと環境のつながりをとらえた「ラウダートシ」。そして具体的な場所を出すことで、私たちが生きる場所とのつながりが明確になった「愛するアマゾン」。アマゾンを自分たちの住む場所に置き換えるなら、より私たちがやるべきことが見えてきます。「愛する日本、平戸、大分、宮崎」ならイメージはより明確になります。そして「愛する兄弟」が出されました。つながりの対象は大きな視点から、細かい視点へと移っていきます。地球規模のつながりから、ついに人間同士のつながりに目が向けられていきました。 教皇フランシスコはいつも人間、人間たちの豊かな関係が生まれることに神経を注いでいたんです。
つまり、神の与えた恵みに、神のかたどりである人間に無関係なものなどない。すべてはつながっている。彼は特に、弱い人、弱くされた人、顧みられない人たち、傷ついた人たちの事についてメッセージを発信しました。彼らが強められ、人間らしい扱いを受け、癒されること、これ以上悲しい思いをしないことを望んだ。彼のメッセージは平和に向けられたものが多く発信されました。平和こそが彼の願いだったんです。
では、平和とは何なのでしょうか。見た目の上で争いが起きていないことでしょうか? 一時的であっても、争いがないこと自体は良い事です。そのことに異論はありません。しかし、平和とはそんな消極的なものなのか。もっと積極的なもののはずです。
福音の中で、復活したイエスによって平和が語られます。「あなた方のうちに平和があるように。」二度、三度と語られていきます。復活したイエスの与える平和によって何が起きたのか。イエスの平和によって、弟子たちの生き方が変わっていきます。最初弟子たちは、ユダヤ人を恐れて、自分たちのいる家の戸に鍵をかけていたとあります。鍵をかけ閉じこもって、隠れていました。兵士につかまるかもしれないと、家にも自分の心にも鍵をかけてしまいました。
しかし、イエス様に会ってこれまでの絶望が取り去られていく。イエス様によって弟子たちの生き方が根底から変わっていく。彼らは大いに喜びました。「イエス様の傷に触れるまではイエス様の復活を信じない。」このように言ったトマスは、信じないものからイエス様に会うことで信じる者に、変えられました。イエス様の与える平和とは強い繋がり、豊かな関係における喜びの事でした。この豊かな関係に招かれていることを、この恵みが与えられていることを、フランシスコは伝え続けました。
そして私たちは、ミサの中で平和のあいさつを交わします。私たちが豊かな関係性の中に生きていることを確認し合い、そして、主の与える平和が私たちを新しい者へと変えようとすることを望むやり取りです。神が私たちを真の平和に導いていることに信頼して祈りを続けてまいりましょう。主の平和につながって
2025年4月号
2025大分教区ニュースレター4月号「若葉マーク付きの司祭」
先日3月20日に、大分教会にて司祭叙階のお恵みをいただきました。山頭です。まずは、心より感謝を宣べたく思います。様々な準備、これまでの支援、当日の参列、ここに書ききれない多くの助けを受けたことを、心より感謝申し上げます。神父様、親族、関わってくださったすべての人、そしてこのすべての人を遣わし送ってくださった神様に感謝したく思います。
皆様いかがお過ごしでしょうか。ニュースレター、もう少し続けていこうかと思っております。これからもよろしくお願いいたしますね~。私は赴任地である宮崎教会に移動いたしました。気候と共にとても暖かく(熱く)迎えていただいております。青少年司牧、船員司牧についての役務を受けましたが、まだまだ指導を頂く必要性をひしひしと感じております。司祭にしていただきましたが、ここからがスタートであることを実感しているところです。まだしばらくは初心者マークが取れなさそうですね。そして、初心を大事にしながらやっていきたく思ってもおります。
司祭としてやってみたいこともあります、しかし、まずは私を受け入れてくださった場所の現状を知る必要があります。その上で、必要な事を探し、主任神父様や諸先輩、小教区の皆さまと相談しながら取り掛かっていく所存です。これまでに渡してもらったヒント、気付き、学びを下敷きにして、様々な人との出会いを大切にしていきたく思います。
すべての人の中におられ、そこに働いておられる主の働きに信頼して。
感謝と祈りのうちに
大分教区の皆様へ、ニュースレター2月号
強烈な寒さが続くこの頃いかがお過ごしでしょうか。神学校では一時、コロナとインフルエンザが流行してひと騒動ありました。健康が一番であることを痛感させられております。
さて、2月10日にはとうとう神学校を卒業することになりました。神学校生活は、振り返ってみるとあっという間だという事を先輩方や、指導司祭によく言われ続けてきました。なかでも最後の1年、この1年は本当に驚くほど速く過ぎていったように感じております。その中での気付きを少し思い起こしてみたく思います。
東京で学ぶことになったこと、神学総合試験(卒業試験に近いもの)を受けた事、助祭叙階の恵みをいただいたこと、挙げていけば本当にたくさんの重要な事がありました。その中でも印象的であり、現在も課題となっていることがあります。本当に基本的な事ですが、相手との関わり方の難しさを再度認識させられました。
司牧実習先の教会でのことです。助祭として奉仕させていただく中で、この1年中高生会を任せていただきました。関わる相手に言うべきこと、その方向性は相手と共に探していくものです。しかし、その相手には当然、個人差があります。本人が持っている特性、生まれ育ってきた環境、現在持っている悩みや課題があります。同じ相手ですら、関わる際の状況は変化していくんですね。
「正解はどこにあるんだろう。」「どうするのが最善だったんだろうか。」このように思うことは少なくありません。意図しない結果が生まれることは度々あります。自分の足りなさを痛いほどに感じさせられます。それでも、答えを出していく必要があります。そして時には相手を待つことも必要です。分かってはいるんですが、口を出したくなってしまう自分が出てきてしまいます。
このことに関して、何人かの神父様が勧めを下さいました。マルコ書でイエス様は使徒を選ばれたときに、その最初の目的は「自分のそばに置くため」だったと言う点です。どう生きるかを実際に見せるため、難しい時に声をかけるために、そばに置いてくれた。
このみ言葉を最近はよく感じさせられております。そばにいてくださることに信頼して生きていきたい。私が関わり続けることに力を貸し続けてください。そして助け手を送ってくださることに感謝いたします。私に関わってきてくださった方、そしてこれからも関わってくださる方、いつも本当にありがとうございます。