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カトリック教会のお知らせ

教皇レオ十四世の紋章とモットーの説明
2025-05-15
注目NEW

紋章

盾の左上は青地に銀色の百合。右下は矢で貫かれた燃える心臓。これらの全体は赤色で、閉じられた本の上に置かれる。

盾の上には銀色のミトラ(司教冠)。ミトラは、三本の金色の帯と一本の金色の縦棒で飾られる。ミトラは、ひらめく赤色の垂飾りで裏打ちされる。垂飾りには金色の十字架と房がついている。垂飾りの前には交差したペトロの鍵(向かって左上部から右下部が金色、向かって右上部から左下部が銀色)。二つの鍵は赤いひもで結ばれている。

モットー

IN ILLO UNO UNUM.

説明

紋章左上の青地は天の高さを思い起こさせ、マリアを表す。百合は古代から聖なるおとめマリアの象徴(「花々の中の花」[flos florum])。

紋章右下の白地に描かれた、矢で貫かれた燃える心臓は、聖アウグスチノ修道会の象徴。この図像は、『告白』(Confessiones IX, 2, 3〔山田晶訳、『世界の名著14 アウグスティヌス』中央公論社、1968年、290頁〕)で聖アウグスティヌスが述べたことば「あなたは私たちの心を、愛の矢で貫かれました」(Sagittaveras tu cor nostrum charitate tua)を象徴的に表す。この図像は16世紀以降、聖アウグスチノ修道会士の紋章で用いられてきた。紋章にはさまざまなバリエーションが伴う。たとえば、聖アウグスティヌスがそうであったように、すべての人の心を変容させることができる神のことばを象徴的に示す、本である。本は、恩寵博士アウグスティヌスが教会と人類に与えた、輝かしい諸著作も想起させる。白地(教皇紋章においては象牙色)は修道会の他の紋章にもしばしば用いられ、聖性と純潔の象徴と解釈される。

モットーの「わたしたちは彼(キリスト)のうちに一つである」(In illo uno unum)は、聖アウグスティヌス『詩編講解』(Enarrationes in Psalmos LXXXVIII, sermo 1, 7)のことば「わたしたちは多くの子たちなのである。彼は独りであり、わたしたちは彼にあって一つである」(Ille unicus, nos multi; ille unus, nos in illo unum〔荒井洋一・出村和彦・金子晴勇・田子多津子訳、『アウグスティヌス著作集19/Ⅱ 詩編注解(4)』教文館、2020年、364頁〕)の引用。

アントニオ・ポンピリ
イタリア紋章・系図研究所副所長


新教皇レオ十四世(ロバート・フランシス・プレヴォスト[Robert Francis Prevost][聖アウグスチノ修道会])略歴
2025-05-12
注目NEW


前教皇庁司教省長官、チクラヨ(ペルー)名誉大司教。


1955年9月14日、シカゴ(アメリカ合衆国イリノイ州)生まれ(69歳)。1977年、セントルイス、聖アウグスチノ修道会、善き勧めの聖母(Our Lady of Good Counsel)管区の修練院に入る。1981年8月29日、終生誓願を宣立。シカゴ・カトリック合同神学校(Catholic Theological Union of Chicago)で学び、神学部を卒業。

27歳で聖アウグスチノ修道会からローマに派遣され、教皇庁立聖トマス・アクィナス大学(アンジェリクム)で教会法を学ぶ。1982年6月19日、司祭叙階。1984年に教授資格を得、ペルー、ピウラのチュルカナスでの宣教活動のために派遣される。

1987年、「聖アウグスチノ修道会の地方修道院長の役割」のテーマで学位を取得。同年、アメリカ合衆国イリノイ州オリンピア・フィールズの善き勧めの聖母管区の召命責任者・宣教責任者に選ばれる。1988年、チュルカナス、イキトス、アプリマク使徒座代理区の聖アウグスチノ修道会志願者の共同養成プロジェクト責任者としてトルヒーリョ宣教に派遣される。同地で、共同体修道院長(1988-1992年)、養成責任者(1988-1998年)、誓願宣立者の教師(1992-1998年)を務める。トルヒーリョ大司教区で、法務代理(1989-1998年)、「サン・カルロス・エ・サン・マルセロ」大神学校の教会法、教父学、倫理学教授を務める。

1999年、シカゴ、善き勧めの聖母管区管区長に選ばれる。2年半後、修道会通常総会で総長に選出される。2007年、通常総会で同職を再任される。2013年、自らの属するシカゴ管区に戻り、誓願宣立者の教師および管区代理を務める。2014年11月3日、教皇フランシスコによりチクラヨ(ペルー)教区使徒座管理者に任命され、司教に上げられ、スファル教区名義司教となる。11月7日、聖座大使ジェームズ・パトリック・グリーンの面前で教区の教会法上の所有権を得る。12月12日、グアダルーペの聖母の祝日に教区司教座聖堂において司教叙階。2015年9月26日よりチクラヨ司教。2018年3月、ペルー司教協議会第二副会長。2019年、教皇フランシスコにより教皇庁聖職者省委員に、2020年に司教省委員に任命される。

2020年4月5日、教皇フランシスコによりカヤオ教区使徒座管理者に任命される。

2023年1月30日、教皇庁司教省長官、ラテン・アメリカ委員会委員長。

2025年2月6日、教皇フランシスコにより司教職階に上げられ、アルバノ首都近郊管区教会名義を与えられる。

2023年9月30日の枢機卿会議で教皇フランシスコによりサンタ・モニカ助祭枢機卿として叙任・公表される。

教皇庁福音宣教省初期宣教部門、教理省、東方教会省、聖職者省、奉献・使徒的生活会省、文化教育省、法制省、バチカン市国委員会委員。

新教皇選出される
2025-05-12
注目

©VATICAN MEDIA

5月8日(木)午後6時9分(日本時間9日午前1時9分)、システィーナ礼拝堂の煙突から教皇選出を告げる白い煙が上がり、サンピエトロ大聖堂の鐘が鳴らされました。


コンクラーベ開始2日目、午後の1回目(最初から数えて4回目)の投票による選出でした。

午後7時13分(日本時間9日午前2時13分)、サンピエトロ大聖堂バルコニーに助祭枢機卿のドミニク・マンベルティ枢機卿が現れ、新教皇選出を告げました。

その後、午後7時23分(日本時間9日午前2時23分)ロバート・フランシス・プレヴォスト枢機卿(初の北米大陸出身の教皇)が現れました。

新教皇はレオ14世(LeoXIV)を名乗りました。

教皇フランシスコ、復活祭メッセージ(ローマと全世界へ)(2025.4.20)
2025-04-28
NEW

教皇フランシスコ、復活祭メッセージ(ローマと全世界へ)
2025年4月20日

2025年4月20日(日)正午(日本時間午後7時)から、サンピエトロ大聖堂バルコニーから教皇フランシスコによって発表された復活祭メッセージ。メッセージは教皇儀典室儀典長のディエゴ・ラヴェッリ大司教が代読した。終わりに教皇が祝福を送った。

 キリストは復活されました。アレルヤ。

 兄弟姉妹の皆さん。復活祭おめでとうございます。

 今日、教会ではついにアレルヤが唱えられます。それは、口から口へ、心から心へとこだまします。それは全世界の神の民に喜びの涙を流させます。

 エルサレムの空の墓から、聞いたことのない知らせが届きます。十字架につけられたイエスは、「ここにはおられない。復活なさったのだ」(ルカ24・6)。イエスは墓にはおられず、生きておられます。

 愛は憎しみに打ち勝ちました。光は闇に打ち勝ちました。真理は偽りに打ち勝ちました。ゆるしは復讐に打ち勝ちました。悪はわたしたちの歴史から消えていません。悪は最後までとどまります。しかし、悪はもはや支配していません。悪は、今日の恵みを受け入れた人々には力をもちません。

 姉妹兄弟の皆さん。とくに苦しみと不安のうちにある皆さん。皆さんの沈黙の叫び声は聞き入れられました。皆さんの涙は受け入れられました。その一つも失われることはありません。イエスの受難と死によって、神は世のすべての悪をご自身に受け止め、限りない憐れみによって悪を打ち負かしました。人間の心を汚染し、暴力と腐敗の種をいたるところにまきちらす悪魔の傲慢を根絶やしにされました。神の小羊は勝利しました。だから今日、わたしたちは叫びます。「わたしの希望、キリストは復活した」(復活の続唱)。

 そうです。イエスの復活は希望の基盤です。この出来事から、希望することはもはや幻想でなくなります。そうです。十字架につけられたキリストのおかげで、希望は失望に終わることはありません。「希望は欺くことがありません(Spes non confundit)」(ロマ5・5参照)。希望は逃避ではなく、約束です。希望は疎外ではなく、責任です。

 神に希望を置く人々は、その弱々しい手を神の大きく力強い手に置きます。彼らは高く上げられ、旅に出ます。彼らは復活したイエスとともに希望の巡礼者となります。愛である方の勝利の証人、いのちである方の武器をもたない力の証人となります。

 キリストは復活されました。この知らせの中に、わたしたちの人生の意味全体が含まれています。わたしたちの人生は、死のためではなく、いのちのために造られたからです。復活祭はいのちの祭りです。神はいのちのためにわたしたちを造られました。そして、人類が復活することを望まれます。すべてのいのちは神の目に貴いものです。母親の胎内の子どものいのちも、高齢者と病人のいのちも。これらの人々はますます多くの国で捨てられるべき存在とみなされています。

 わたしたちは日々、世界のさまざまな地域で行われる多くの紛争の中に、どれほど死への望みを見いだすことでしょうか。家庭の中で、女性や子どもに対してどれほど暴力がしばしば振るわれるのを目にすることでしょうか。弱い人、疎外された人、移住者へのさげすみが、時としてどれほど大きくなっていることでしょうか。

 今日、わたしは、希望と、他者への信頼を新たにしたいと思います。近くにいる人も、習慣、生き方、思想、見慣れないさまざまな服装を携えて遠くから来る人も含めて。なぜなら、わたしたちは皆、神の子だからです。

 わたしは、平和が可能であるという希望を新たにしたいと思います。聖墳墓の復活教会から――そこでは、今年、復活祭がカトリック信者と正教会信者によって同じ日に祝われます――、平和の光が聖地と全世界に広がりますように。わたしは、パレスチナとイスラエルのキリスト信者の苦しみに、全イスラエル人とパレスチナのすべての民に寄り添います。全世界に広がる反ユダヤ主義の風潮の高まりに懸念を覚えます。同時に、わたしは、ガザの人々、とくにキリスト教共同体に思いを致します。そこでは、恐ろしい紛争が、死と破壊を生み出し、悲惨で忌むべき人道状況を引き起こし続けているからです。すべての紛争当事者に呼びかけます。攻撃をやめ、人質を解放し、飢え、平和な未来を望む人々を援助してください。

 レバノンとシリアのキリスト教共同体のために祈りましょう。シリアではその歴史上、微妙な移行が行われています。シリアの人々は、安定と、各国の運命に参加することを望んでいます。全教会にお願いします。関心と祈りをもって、愛する中東のキリスト信者に同伴してください。

 わたしの思いはとくにイエメンの人々に向かいます。彼らは、戦争により、世界でも最悪の「長期化した」人道危機を経験しています。すべての関係者に呼びかけます。建設的な対話を通じて解決を見いだしてください。

 復活したキリストが、苦しむウクライナに復活祭の平和の恵みを豊かに与えてくださいますように。そして、すべての紛争当事者が公正で永続的な平和を達成するための努力を続けるように、励ましてくださいますように。

 今日の祭りの日に、南コーカサスに思いを致しながら、祈ります。アルメニアとアゼルバイジャンの間で最終的な平和協定が調印・履行され、長く望まれている地域の和解がもたらされますように。

 復活祭の光が、西バルカン諸国の一致への決意を力づけ、緊張と危機の悪化回避のための政治的努力を支えてくださいますように。地域のパートナー諸国が危険で不安定をもたらす行動を拒否できますように。

 わたしたちの希望である、復活したキリストが、暴力と紛争の犠牲となっているアフリカの人々、とくにコンゴ民主共和国、スーダンと南スーダンの人々に平和と慰めを与えてくださいますように。サヘル地域、アフリカの角、太湖地域で緊張のために苦しむ人々、また多くの地域で信仰を自由に表明できないキリスト信者を支えてくださいますように。

 信教の自由、思想と言論の自由、異なる意見の尊重なしに平和はありえません。

 真の軍縮なしに平和はありえません。すべての国民が自国の防衛に備えなければならないことが、全面的な再軍備競争に変わってはなりません。復活祭の光が、分裂を作り出し、深刻な政治的・経済的帰結をもたらす障壁の撤廃を促しますように。復活祭の光が、互いにいたわり合い、相互の連帯を強め、すべての人間の人格の総合的な発展を促進する努力を励ましますように。

 復活祭の季節に、ミャンマーの人々への援助を欠くことがありませんように。ミャンマーの人々は、すでに長年にわたる武力紛争で苦しめられています。その上に、数千人の死者を出し、孤児、高齢者をはじめとする多くの生存者に苦しみをもたらしている、サガインの大地震の結果に対して勇気と忍耐をもって立ち向かっています。犠牲者とその遺族のために祈ります。そして、救助活動に当たる寛大なボランティアの人々すべてに心から感謝します。ミャンマーにおけるさまざまな当事者による停戦のニュースは、ミャンマー全体にとって希望のしるしです。

 政治的責任をもつ世界のすべての人々に呼びかけます。閉ざされた恐怖の論理に屈しないでください。むしろ、困窮した人を助け、飢餓と戦い、発展促進の取り組みを促すために資源を用いてください。これこそが平和の武具です。この武具が、死の種をまく代わりに、未来を築くのです。

 わたしたちの日々の行動の基盤として、人道的原則が欠けることがありませんように。無防備な市民を巻き込み、学校、病院、人道支援従事者を攻撃する、冷酷な紛争を目の当たりにするとき、これらの人々が標的ではなく、霊魂と尊厳をもった人格であることを忘れてはなりません。

 この聖年の間、復活祭が戦争捕虜と政治捕虜の解放のよい機会ともなりますように。

 親愛なる兄弟姉妹の皆さん。

 主の過越において、死といのちは驚くべき戦いの中で対決しました。しかし、今や主は永遠に生きておられます(復活の続唱参照)。そして、わたしたちも、終わりのないいのちにあずかるよう招かれているという確信を呼び起こします。そこではもはや、武器の轟音も死の反響も耳にすることがありません。主に自分をゆだねましょう。この方のみが万物を新しくするのです(黙21・5参照)。

 皆さん、復活祭おめでとうございます。

ローマ教皇フランシスコの葬儀ミサ
2025-04-23
注目重要

2025年4月22日(火)、教皇儀典室はローマ教皇フランシスコの葬儀ミサについて次の発表を行いました。
――― 
ローマ教皇フランシスコの葬儀ミサについての通知

「9日間の祈り」の第1日、2025年4月26日(土)午前10時(日本時間同日午後5時)、サンピエトロ広場で、『ローマ教皇の葬儀規則(Ordo Exsequiarum Romani Pontificis)』(第82-109条)の規定に従い、ローマ教皇フランシスコの葬儀ミサがささげられます。

葬儀は枢機卿団の首席枢機卿のジョヴァンニ・バッティスタ・レ枢機卿が司式します。

共同司式者は以下の方々です。

・総大司教と枢機卿の皆様は、ダマスク織りの白のミトラをお持ちの上、午前9時(日本時間午後4時)までに、サンピエトロ大聖堂のサン・セバスティアーノ礼拝堂にお越しください。

・大司教と司教の皆様は、ご自身のアミクトゥス、アルバ、チングルム、単純な白のミトラをお持ちの上、午前8時30分(日本時間午後3時30分)までに、「コンスタンティヌスの腕」にお越しください。

・司祭の皆様は、午前8時30分(日本時間午後3時30分)までに、ご自身のアミクトゥス、アルバ、チングルム、赤いストラをご着用の上、サンピエトロ広場の指定の席に直接お越しください。

感謝の祭儀の終わりに、「最後の死者のための祈り」(ltima commendatio)と「告別の祈り」(Valedictio)が行われます。ローマ教皇の棺はサンピエトロ大聖堂に運ばれ、そこからサンタ・マリア・マッジョーレ大聖堂に運ばれます。

***

自発教令『ポンティフィカリス・ドムス』(Pontificalis Domus)に従い、共同司式をせずに感謝の祭儀に参加するバチカン参事会参事会員は、e-mailのcelebrazioni@celebra.vaで指示される通知をお守りください。ご自身の典礼用祭服(アビトゥス・コラーリス)をご着用の上、午前9時(日本時間午後4時)までにサンピエトロ広場にお越しくださり、教皇儀典室が指示する席にご着席ください。

バチカン市国、2025年4月22日
枢機卿団の指示により

ディエゴ・ラヴェッリ
レカナーティ名義大司教
教皇儀典室儀典長

「カトリックジャパンニュース」がスタートしました
2025-04-03
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3月末で休刊となった週刊「カトリック新聞」に代わり、カトリック教会に関するニュースをウェブ上でお届けする「カトリックジャパンニュース」が始まりました。

教皇フランシスコの言動や、バチカンはじめ国内外のニュース、主日の福音解説などを掲載しています。ぜひご覧ください。


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2011年3月11日東京電力福島第一原子力発電所事故から14年 「神をたたえよ、造られたすべてのもののゆえに」(日本カトリック正義と平和協議会)
2025-03-11
注目
2011年3月11日東京電力福島第一原子力発電所事故から14年
「神をたたえよ、造られたすべてのもののゆえに」



 2024年1月に発生した能登半島地震によって、北陸電力志賀原子力発電所の災害時避難対策の不備、福島第一原発事故が13年経っても教訓として生かされていなかったことが、明らかになりました。あれから1年が経ち、2月18日、政府は「第7次エネルギー基本計画」を発表しました。その本文は、次のような文言から始まります。

 東日本大震災及び東京電力福島第一原子力発電所事故からまもなく14年が経過するが、東京電力福島第一原子力発電所事故の経験、反省と教訓を肝に銘じて、エネルギー政策を進めていくことが、エネルギー政策の原点である。

 ところがその内容は、原子力を再生可能エネルギーと並ぶクリーンなエネルギーであるとし、既存原子炉再稼働の加速、核燃料サイクルの推進、福島原発事故後に生じた「除去土壌」の再生利用や放射性廃棄物の地層処分の推進などが謳われ、政府があからさまな原発回帰へ向かおうとしていることは疑いようのない、驚くべきものでした。
 そこには、2014年以来、エネルギー基本計画に示されてきた「可能な限り原発依存度を低減する」姿勢はもはや跡形もなく、原子力の「最大限活用」は既定事項とされています。
 これでは福島原発事故の重い経験はなかったも同然であり、事故前に比較しても著しい後退と言わざるをえません。事故被害者の経験は蔑ろにされ、上掲した冒頭の文言は単なる形式にすぎなかったと判断する他ありません。

 原発であれ、核兵器であれ、核の技術とは、生態系全体と人間の社会生活に取り返しのつかない大惨事をもたらす危険性と、人を恐怖によって支配する圧倒的な力を持ち、豊かなもの、強いものが貧しいもの、弱いものを搾取する構造上にのみ可能であり、そしてその使用によって不均衡は一層深刻なものとなる、不正義の技術に他なりません。2011年3月11日の福島原発事故以来、日本のカトリック教会は、以上のように訴え続けてまいりました。
 日本は、第二次世界大戦において2度にわたり世界で初めての原爆による攻撃を受け、さらには冷戦下の太平洋核実験における被曝、福島第一原発事故による広域の放射能汚染と、今日考えうるあらゆる核の災禍を経験し、核とはどのようなものかを他国に増して知っているはずの国です。人類はこのような技術と一刻も早く決別しなければならず、日本こそ、そのために働く、特別な使命を担っているのです。

 日本カトリック正義と平和協議会は、「第7次エネルギー基本計画」に反対し、真に原発事故の「経験、反省と教訓」に立脚したエネルギー政策への転換を求めます。地球温暖化が進み、国際情勢がかつてないほどに不安定な2025年、人類を含むすべての生命の尊厳が危機に陥っています。私たちは、今すぐ核の技術を手放し、いかなる分断の壁も乗り越えて一致し、生命の価値にこそ回帰しなければなりません。

Prot.no.SC-JP24-07
2025年3月11日

日本カトリック正義と平和協議会
会長 ウェイン・バーント
担当司教 エドガル・ガクタン
協議会一同

2025年 四旬節教皇メッセージ(2025.3.5)
2025-03-02
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2025年四旬節教皇メッセージ
希望をもってともに歩んでいきましょう

親愛なる兄弟姉妹の皆さん

 灰を受ける悔い改めの式をもってわたしたちは、今年の四旬節の旅を信仰と希望を胸に歩み始めます。母であり教師である教会は、神の恵みに心を開くようわたしたちを招いています。罪と死に打ち勝った主キリストの復活の勝利を、大きな喜びをもって祝えるようになるためです。聖パウロにこう叫ばせたようにです。「死は勝利にのみ込まれた。死よ、お前の勝利はどこにあるのか。死よ、お前のとげはどこにあるのか」(一コリント15・54−55)。まさしく、十字架にかけられ復活したイエス・キリストこそ、わたしたちの信仰の中心であり、御父の最大の約束を信じるわたしたちの希望の保証です。そして、御父の愛する子キリストにおいて、約束はすでに実現しています。それは永遠のいのちです(ヨハネ10・28、17・3参照)1

 聖年の恵みにあずかる中でのこの四旬節に、「希望をもってともに歩む」ことの意味について、また、いつくしみをもって神がわたしたち皆に――個人としても共同体としても――呼びかけておられる回心の招きについて、少し考えてみたいと思います。

 初めは、「歩む」についてです。聖年のモットー「希望の巡礼者」が思い起こさせるのは、出エジプト記に描かれている、約束の地へと向かうイスラエルの民の長い旅路です。奴隷状態から自由へのこの険しい道のりをお望みになり導かれたのは、ご自分の民を愛し、その民につねに忠実であられる主です。聖書の出エジプトを考えるとき、現代にあって、自分や愛する家族のよりよい生活を求め、困窮や暴力から逃れようとして旅立つ兄弟姉妹のことを思わずにはいられません。ここで、回心の最初の呼びかけが生まれます。わたしたちのだれもが旅する者なのですから、だれもが自らに問わなければなりません。――こうした現状に自分は問いただされているだろうか。道を進んでいるのか、それとも恐れや絶望から硬直して動けなくなっているのか、楽な場所から抜け出せなくなってはいないだろうか。罪を犯したり自らの尊厳を貶めたりする状況から離れる道を探しているだろうか――。移民や移住者の具体的な現実に向き合い、それに実際にかかわって、御父の家へと向かうよりよい旅人となるため、神がわたしたちに何を求めているかを見いだすことは、四旬節のよい鍛錬となるでしょう。それは、旅する者皆にとって、よい「意識の糾明」です。

 第二は、「ともに」歩むについてです。ともに歩む、シノドス的であること、これが教会の使命です2。キリスト者は決して孤高の旅人ではなく、ともに旅するよう呼ばれています。聖霊は、自分自身から出て神と兄弟姉妹に向かうよう、決して自分自身を閉じないよう、突き動かしておられます3。ともに歩むということは、神の子としてともに有する尊厳を基盤とした一致の作り手となるということを意味します。それは、人を踏みつけたり押しのけたりせず、ねたんだりうわべの振る舞いをしたりせず、だれも置き去りにしたり疎外感を覚えさせたりせずに、肩を並べて歩むということです(ガラテヤ3・26−28参照)。愛と忍耐をもって互いに耳を傾け合いながら、同じ方向に向かって、同じゴールを目指して、歩んでゆきましょう。

 この四旬節、神がわたしたちに求めるのは、生活において、家庭で、職場で、小教区や諸共同体において、他者とともに歩めているか、その声に耳を傾けられているか、自己中心的になったり自分の必要だけを考えたりする誘惑に屈せずにいられているかということです。神の国のため、司教として、司祭として、奉献生活者として、信徒として、他者と協力して働くことができているか、主のみ前で自らに問うてみましょう。身近な人に対しても、遠くの人に対しても、具体的な振る舞いをもって受け入れる態度を示せているだろうか。他者が自分も共同体の一員と感じられるようにできているだろうか、社会の周縁に置き去りにしてはいないだろうか4。これが回心への第二の呼びかけ、つまりシノダリティへの転換です。

 第三は、約束に対する「希望をもって」ともに歩むについてです。希望は欺かない(ローマ5・5参照)――、この聖年の中心メッセージ5が、復活の勝利へ向けた四旬節の歩みの展望となりますように。教皇ベネディクト十六世が回勅『希望による救い』で教えるとおり、「人間は無条件の愛を必要としています。人間はこういわせてくれる確信を必要としています。『死も、いのちも、天使も、支配するものも、現在のものも、未来のものも、力あるものも、高い所にいるものも、低い所にいるものも、他のどんな被造物も、わたしたちの主キリスト・イエスによって示された神の愛から、わたしたちを引き離すことはできないのです』(ローマ8・38−39)」6。わたしたちの愛であり希望であるキリストは復活し7、栄光のうちに、生きて、治めておられます。死は勝利となり、キリスト者の信仰と大いなる希望は、キリストの復活にあるのです。

 ですから回心への第三の呼びかけは、希望への、神とその大いなる約束である永遠のいのちを信頼することへの招きです。自らに問いましょう。主はわたしの罪をゆるしてくださると確信しているだろうか。それとも、自分を救えるかのように振る舞っているのではないだろうか。救いを切望し、それを求めて神の助けを祈っているだろうか。歴史の出来事を解釈できるようにし、正義と兄弟愛、共通の家のケアに務めさせ、だれ一人取り残されることがないようにする希望を、具体的に抱いているだろうか――。

 姉妹の皆さん、兄弟の皆さん、イエス・キリストにおいて示される神の愛によって、わたしたちは欺くことのない希望(ローマ5・5参照)のうちに置かれています。希望は「魂にとって頼りになる、安定したいかり」8です。その希望のうちに教会は、「すべての人々が救われるよう」(一テモテ2・4)祈り、天の栄光の中で花婿キリストと一つに結ばれることを待ち望みます。アヴィラの聖テレジアの祈りはこうです。「希望しなさい、希望するのです。あなたはその日、その時を知らないのです。よくよく目を覚ましていなさい。あなたが確かなことを疑い、短い時を長く感じている間に、すべては矢のように過ぎ去るからです。」(『神への叫び』15・3)9

 希望の母であるおとめマリアが、わたしたちのために執り成し、四旬節の歩みをともに歩んでくださいますように。

ローマ、サン・ジョヴァンニ・イン・ラテラノ大聖堂にて
2025年2月6日 聖パウロ三木と同志殉教者の記念日
フランシスコ

2025年「第33回世界病者の日」教皇メッセージ
2025-02-06
注目
2025年「第33回世界病者の日」教皇メッセージ
「希望は欺かない」(ローマ5・5)
試練のときにわたしたちを強めてくれる

親愛なる兄弟姉妹の皆さん

 わたしたちは2025年の聖年に第33回「世界病者の日」を祝います。この聖年に教会はわたしたちに「希望の巡礼者」となるよう促しています。この旅路には、神のことばが聖パウロを通して伴ってくださいます。大きな励ましとなるメッセージを与えてくださっているのです。「希望はわたしたちを欺くことがありません」(ローマ5・5)。まさに、希望は試練のときにわたしたちを強めてくれます。

 このことばには慰められます。ただ、とくに苦しんでいる人々にとっては、難しい問いかけにもなるのです。たとえば、からだが重い病気で弱っているとき、そして、その治療には払えそうもない高額な費用がかかるときに、わたしたちは強くあり続けることができるでしょうか。わたしたち自身の苦しみに加えて、わたしたちを支えてくれている、愛する人たちもわたしたちを助けることに無力感を覚えているときに、まだ力があると示すことができるでしょうか。こうした状況にあって、わたしたちは自分よりも強い力による支えが必要なことを感じます。神の助けが必要になるのです。神の恵み、神のみ摂理、神の霊のたまものである力です(『カトリック教会のカテキズム』1808参照)。

 それではここで、神がどれほど苦しんでいる人の近くに寄り添ってくださるのかについて考えてみましょう。とくに、その寄り添いが表れる三つの様相があります。出会いとたまもの、分かち合いです。

1.出会い。イエスは72人の弟子たちを宣教に派遣したとき(ルカ10・1-9参照)、病者たちにこういうよう命じます。「神の国はあなたがたに近づいた」(同9節)。こうして、たとえ苦痛を伴い、理解に苦しむような病にあっても、主との出会いの機会を得られるよう助けなさいと求めているのです。実際、病に見舞われたときには、わたしたちは人間としての弱さを、身体的、心理的、そして精神的な弱さを感じます。それでも、わたしたちは神の寄り添いと共感を体験することもできます。イエスはわたしたちと苦しみをともにしてくださったのです。神はわたしたちを見捨てることはなく、時として、わたしたちが思いもせず、決して見いだすこともなかった力を授かっていたことに気づかせ、驚かせてくださいます。

 そうして病は、わたしたちを変える出会いの機会になります。人生の嵐に遭ったときにも、しっかりとつかまることのできる堅固な岩を見いだすのです。その体験は、たとえ大きな犠牲を伴っても、わたしたちをより強くしてくれます。わたしたちが独りぼっちではないことを分からせてくれるからです。このことから、苦しみそのものが救いの神秘をもたらすということもできます。神の慰めに満ちた現存の寄り添いを実際に体験させてくれるからです。こうしてわたしたちは、「その約束といのちのすべてを通して福音の豊かな完全さを知る」(聖ヨハネ・パウロ二世教皇「米国司牧訪問時の若者たちへの講話」ニューオーリンズ、1987年9月12日)のです。

2.このようにして、わたしたちは二つ目の様相であるたまものに思い至ります。確かに、苦しみほど、あらゆる希望は主から来ることに気づかせてくれるものはありません。それは、何より第一に、受け取り、はぐくむための恵みなのです。尊者マドレーヌ・デルブレルの美しい表現によると、「神の忠実さに忠実」であり続けることです(『希望は暗闇の中の光』序文[La speranza è una luce nella notte, Vatican City 2024]参照)。

 それでも、キリストの復活のうちにだけ、わたしたちの人生は永遠の限りない地平の中にその行き先を見いだすのです。主イエスの復活のうちにだけ、わたしたちは確信するに至ります。「死も、いのちも、天使も、支配するものも、現在のものも、未来のものも、力あるものも、高いところにいるものも、低いところにいるものも、他のどんな被造物も、……神の愛から、わたしたちを引き離すことはできないのです」(ローマ8・38-39)。この「偉大な希望」は、わたしたちが人生の試練や障害を乗り越える助けとなる何か他のかすかな光を生み出します(ベネディクト十六世回勅『希望による救い』27、31参照)。それだけでなく、復活された主はわたしたちとともに歩み、わたしたちの旅に同伴してくださるのです。エマオに向かう弟子たちのためにそうされたとおりです(ルカ24・13-53参照)。その弟子たちと同じように、わたしたちも迷いや心配事、失望を主と分かち合うこと、またわたしたちを照らし、心を燃え立たせてくださる主のみことばを聞くことができます。そして、パンを裂くことでわたしたちも主の現存に気づくことができます。主がわたしたちとともにおられることを通して、現在という制約の中にあっても、その「向こう側」が近づいてくることで、勇気と自信を取り戻すことができるのです。

3.そして、三つ目の様相に行き着きます。分かち合いです。苦しみのあるところは、しばしば分かち合いの場でもあります。そこでは互いを豊かにし合うことができます。わたしたちは何度となく、病者の床に寄り添うことによって希望を抱くすべを学ぶことでしょう。何度となく、苦しむ人に寄り添うことで、信じることを学ぶことでしょう。何度となく、困窮している人の世話をすることで、愛を見いだすことでしょう。わたしたちは、互いに、希望の「天使」のように、神の使者のようになっていることに気づくのです。わたしたちは皆、一緒です。患者も医師も、看護師も家族も、友人も司祭も、修道者も。どこにいようと、家庭にいようと、救急病院にいようと、養護施設にいようと、病院にいようと、診療所にいようと。

 そして大切なのは、このような恵みに満ちた出会いに美しさと価値を見いだし、忘れることのないよう心に刻むすべを学ぶことです。大切に心の内にしまうのです。看護師の優しいほほ笑みを、患者の信頼と感謝にあふれるまなざしを、医師やボランティアの思いやりと気配りに満ちた顔を、伴侶や子どもたち、孫たち、親友たちの期待と不安に満ちた顔を。こうしたすべては、大切な宝になる光で、試練の暗い夜のただ中にあってさえも、わたしたちに力を与えてくれるだけでなく、いのちと愛と寄り添うことの真の意味を示してくれるのです(ルカ10・25-37参照)。

 親愛なる病者の皆さん、苦しむ人を支えている兄弟姉妹の皆さん。この聖年に皆さんはいまだかつてないほどの特別な役割を果たしています。皆さんがともに歩む旅路は、実にすべての人にとってのしるしなのです。「人間の尊厳への賛歌であり、……希望の歌です」(大勅書『希望は欺かない』11)。その歌声は皆さんがおられる医療施設の病室や病床の外にまで響き、愛のうちに「社会全体の調和ある行動」(同)を促し、励まします。そのハーモニーの実現は時に難しいのですが、まさにそのために、とても甘美で力強く、それがもっとも必要とされるところに光とぬくもりを届けることができるのです。

 こうしたことから、全教会は皆さんに感謝しています。わたしも同じように感謝し、いつも皆さんのことを祈りのうちに思っています。わたしは皆さんを、多くの兄弟姉妹が困難なときにマリアにささげる祈りをもって、病者の救いであるマリアにゆだねます。

神の御母よ、わたしたちはご保護を仰ぎます。
いつ、どこでもわたしたちの祈りを聴き入れ、
御助けをもってすべての危険から守ってください。
(カルメロ神父編『カトリック祈祷書 祈りの友』[発売・カルメル会宇治修道院、サンパウロ]より)

わたしは皆さんとご家族、皆さんの愛する人たちに祝福を送ります。
そして皆さんにお願いします。どうか忘れずに、わたしのために祈ってください。

ローマ
サン・ジョヴァンニ・イン・ラテラノ大聖堂にて
2025年1月14日
フランシスコ

2025年キリスト教一致祈祷週間(1月18日~25日)
2025-01-17
注目


「あなたは このことを信じますか」(ヨハネ11・26)

 2025年のキリスト教一致祈祷週間は、2025年1月18日(土)~25日(土)、全世界で行われます。今回のテーマは、「あなたは このことを信じますか」(ヨハネ11・26)です。

 2025年は、コンスタンチノープル近郊のニケアで最初の公会議が開かれてから1700年目にあたります。これを記念することは、キリスト者の共通の信仰を振り返るために極めて意義深いことです。そこで、2025年の「キリスト教一致祈祷週間」は、キリスト者がこの生きた信仰の遺産をあらためて探求し、現代の文化に沿ったかたちで再解釈することを目的とし、ニケア公会議とその決定に至った聖書的土台と教会の経験を、祈りのうちに深める機会としたいと思います。
 ニケア公会議を記念するこの年、キリスト教一致祈祷週間におけるエキュメニカル礼拝は、信じることの意味、さらに「わたしは信じます」と「わたしたちは信じます」という、個人または共同体としての信仰の確認を中心に行われます。

 日本でも、世界に広がる教会と心を合わせてキリスト者の一致を祈るため、カトリック中央協議会と日本キリスト教協議会が共同で翻訳した資料を小冊子『キリスト教一致祈祷週間』として発行し、ポスターとともにご案内しています。小冊子には以下の内容が盛り込まれています。

・その年のテーマの解説
・エキュメニカル礼拝式文
・八日間の聖書の黙想と祈り
・作成担当国のエキュメニズムの紹介

 この小冊子は、キリスト教一致祈祷週間の期間だけでなく、一致を求める個人の祈りや共同の祈りのために年間を通して用いることができるよう配慮されています。

小冊子・ポスター申込み要領

 お申込みご希望の方は、希望送付先の氏名・団体名・所在地・電話番号・FAX 番号・メールアドレス・希望部数を明記の上、PDFのFAX申込書にてお申し込みください(FAX申込書)。在庫に限りがありますので、お早めにどうぞ!
 小冊子およびポスターはともに無料ですが、送料のみ受取人払いとなっています。

数に限りがありますので、お早めにお申し込みください。
小冊子はダウンロードも可能です。合わせてご利用ください。

お申し込み先

カトリック中央協議会 エキュメニズム部門 (カトリック側受付窓口)
Fax 03-5632-4465
135-8585 東京都江東区潮見2-10-10
Tel 03-5632-4445

日本キリスト教協議会
Fax 03-6302-1920
169-0051 東京都新宿区西早稲田2-3-18-24
Tel 03-6302-1919

ご寄付のお願い

一致祈祷週間冊子、ポスター作成およびエキュメニズムの活動推進のための寄付も随時、受け付けています。ご協力のほど、どうぞよろしくお願い申し上げます。

送金方法

郵便局の払込用紙(青色:手数料ご負担)にて、お願いいたします。

振込口座:00130-6-36546
加入者名:(宗)カトリック中央協議会 一般会計口
※通信欄に「キリスト教一致祈祷週間」と明記してください。

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