墓碑に記されている「るいさ」とは人の名前ではなく、洗礼名であろう。おそらく、ルイザ(Luisa)ではないかと思われる。
さて、この「るいさ」なる人物がだれであるかについては、まだ、はっきりとはしていない。半田康夫氏は「渡辺氏系書草案」や渡辺家の位碑等から、岡藩士であった渡辺輿吉郎の娘で、当地梅の渡辺善左衛門重福の妻となった女性ではないかと推察している。同氏によると、彼女の正確な名前は分かっていないが、渡辺家に嫁いでから二人の子を出産した後、1619年(元和五年)に30歳前後で亡くなったようである。これは墓碑に記された没年と重なる。
彼女の出身地である岡藩は、1585年にパウロの洗礼名でキリシタンとなった領主志賀親次の保護のもとでキリシタンが栄えた地である。教会が建てられ、家臣たちの受洗が相次いだ。彼女の父がキリシタンであった可能性は高い。志賀氏に代わって1594年に岡藩士となった中川秀成もキリスト教に好意的であった。このようなことから、彼女はキリスト教が盛んであった地で幼少期を過ごしたと考えられる。一方、嫁ぎ先の宇目も岡藩に属しており、当然のことながら、多くのキリシタンがいたと考えられる。実際に、1627年に殉教者がでていることからも、そのことがうかがえる。
以上のことから、「るいさ」がこの女性である可能性は否定できないだろう。