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大分教区 歴代の司教

 

パウロ浜口末男司教

パウロ浜口末男司教
 
2011年~現在
2011年6月26日に高松教区に出向していた長崎教区司祭パウロ浜口末男師が、大分教区司教として叙階・着座し、3年間続いた司教空位に終止符が打たれた。叙階式は長崎大司教区の高見三明大司教が司式し、駐日教皇大使アルベルト・ボッタリーニ・デ・カステッロ大司教をはじめ、歴代の教区長である平山司教、宮原司教及び15名の司教、約100名の司祭、助祭、教区内外から約1700名の修道者、信徒らが参列した。説教は高松教区司教溝部脩司教が行い、「司教は一人では何もできません。司祭の助けが必要です。教区は司教とともに宣教司牧に全力を注いでください。そうすれば活き活きとした教会になるでしょう。ゆっくりでもいいです。一緒に歩んでくださいますように。」と述べた。
また司教叙階後、教区報の中で浜口司教は「司祭召命は教区の最優先課題として掲げていいのではないでしょうか。唯一の優先課題に向かって全教区民が歩み始めるとき、自然と教区の一致がなると思います。」と抱負を述べた。
 
浜口司教紋章
浜口司教紋章
浜口司教の紋章
PRAEDICATE EVANGELIUM
OMNI CREATURAE
 
 標語は、「(全世界に行って)すべての造られたものに福音を宣べ伝えなさい」(マルコ16:15)である。
 うず状の無数の円は宇宙を表し、時間を表す。生命を育む自然と、苦悩と殉教、希望、平和と喜びによって織り成される人間の歴史を表現している。小舟は教会で、神の国の完成へと向かっている。
 大分教区の恵まれた自然と、天孫降臨伝説およびキリシタンの歴史に着想を得た。
 大きな七つの波紋は、秘跡であり、聖霊の賜物である。これを教会が、歴史を通して全被造物に運ぶ。
 
2011年6月26日叙階
カトリック大分司教区
司教 パウロ 浜口末男
 

浜口司教叙階・着座

浜口司教叙階・着座
 
多くの司祭、修道者、信徒が参列
 
高見大司教より按手
 
駐日教皇大使、司教らとともに
 

司教空位

司教空位
 
2008年~2011年
2008年宮原良治司教が福岡教区の司教として任命され、5月18日に第6第教区長として着座した。その翌日から大分教区では臨時顧問会が開かれ、教区管理者として田口孝志神父が努めることになった。そして誰もが予想しなかった3年にも及ぶ司教空位が続くことになる。この3年間に大分教区では3度の司教の選出を願うミサが行われ、堅信式や司祭・助祭の叙階式には高見大司教、郡山司教、平山司教らに司式をお願いすることになった。
また宮原司教の意向で「教区設立50周年」に向けての取り組みも5年間かけて行うことが計画され、2007年から実行されたが、空位期にも引き継がれ、無事50周年記念を迎えることができた。
 

ドミニコ宮原良治司教

ドミニコ宮原良治司教
 
2000年~2008年
1970年1月から31年近く大分教区長をつとめた平山高明司教の引退届が教皇に受理され、2000年5月10日、長崎教区司祭のドミニコ宮原良治師が大分教区司教に任命された。長崎カトリックセンターの教区法務事務所で法務代理を担当し、2000年4月からは福岡サン・スルピス大神学院で教会法を教えていた。福者ペトロ岐部と187殉教者(2008年11月に列福)の列福調査委員会のメンバーでもあった。
2000年10月1日、別府の明星高等学校の体育館で司教叙階式と着座式が行われた。駐日バチカン大使をはじめ、前教区長の平山高明司教や平田三郎司教を含む17名の司教、120名の司祭、また教区内外から約1200名の修道者、信徒が叙階式に参列した。また大分と宮崎両県から約100名の聖歌隊が結成された。
 

宮原司教叙階・着座

宮原司教叙階・着座
 
宮原司教司式で平山司教への感謝の集い
 
宮原司教の叙階・着座敷が盛大に行われた
 

ペトロ平山高明司教

ペトロ平山高明司教
 
1970年~2000年
1969年、初代大分教区司教の平田三郎司教は聖座により福岡教区の司教に任命され、それにともない、平山高明師が1970年1月25日に大分教区2代目司教として大分司教座聖堂で叙階された。叙階式は駐日教皇大使ブルーノ・ブルテンベルグ大司教司式のもとに執り行われ、共同司式した司教は平田三郎司教、平山司教の恩師深堀仙右衛門司教をはじめ12名だった。その他に修道会管区長、聖公会代表を含む来賓、平山司教の親戚、50名の司祭団、修道者、信徒など約800名が参列し、盛大に叙階式、着座敷が行われた。式後には平田司教に対して感謝の言葉と平山司教への祝辞が司祭団を代表して村岡久義神父が述べ、信徒を代表して大分司教上田保氏が述べた。このように盛大で荘厳なミサは大分教区ではそれまでで初めてであったといわれる。
また同日叙階式に引き続いて明野小神学校の祝別式・落成式が行われたが、平田司教の課題であり、念願であった教区司祭の養成のための神学校建設はこのようにして引き継がれ、平山司教も最初の段階から司祭養成に関してはあらゆる努力を尽くす意思を固めていた。
 

平山司教叙階・着座

平山司教叙階・着座
 
司教叙階と着座式が盛大に行われた
 
平山高明司教と平田三郎福岡司教
 

ペトロ平田三郎司教

ペトロ平田三郎司教
 
1961年~1969年
ペトロ平田三郎司教(任期1962~1970年)
1961年12月、布教聖省は大分県、宮崎県を含む知牧区を教区に昇格させ、福岡教区から独立させた。司教座は大分教会に置かれることになり、大分教区初代司教にペトロ平田三郎師が選任され、翌年3月26日に司教に叙階された。
平田司教が叙階され大分教区に着座したその年に教皇ヨハネ23世によって第二バチカン公会議が開催された。会期は5年間に及びヨハネ23世の逝去にともなってパウロ6世教皇に引き継がれた。公会議はエキュメニカル的な雰囲気の中で行われ、様々な刷新的な文書が作成されていった。平田司教もこの公会議に参加し、大分教区でのその実践的の一つとして1968年10月10日に「司牧協議会」が発足された。司牧評議会とは、司祭、修道者、信徒が司牧面で実践的な結論を提出する諮問機関である。また典礼の面でも刷新され、ミサ聖祭はそれまで全世界でラテン語で唱えられていたが、公会議以降、日本語で唱えられるようになり、典礼聖歌が取り入れられ、詩編を歌うようになった。
 

平田司教着座

平田司教着座
 
1962年3月26日 平田司教着座
 
大分司教座は大分教会となった
大分司教座は大分教会となった
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