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神学生ニュースレター【6/19更新‼】

神学科一年 山頭 牧夫

メッセージレター「父と母へ」前編

 しとしと雨が降り、天気とは対象的に池のカエルは元気に跳ね回っております。皆さまいかがお過ごしでしょうか?目まぐるしく温度、湿度が変わっておりますが、なにとぞ体調に気を付けてくださいませ。
 5月と6月には、対になっている記念日があります。答えは言わずもがなですが、母の日と父の日です。差し出がましいですが、もしも出来ることがあったら、感謝を形にしてみてはいかがでしょうか?「気持ちが伝わっていれば大丈夫!」との意見もあると思いますし、そのやり方で伝わっているなら本当に素敵な事です。
 けれどやはり人間、形にしてもらう事も嬉しいものです。少しだけ勇気がいるかもしれませんが、良い事をするのに神様がきっと力を貸してくれるはずです。どーんといってみましょう!案外上手くいくかもしれません。私からもいつも心配をかけている父母、そして、私をいつも支えて下さる方々に感謝を伝えたく思います。「いつも応援して頂いて、本当に有難うございます!」
 教会でも母に関するお祝いが、行われております。6月12日は聖母の御心の記念日でした。当日読まれた福音の箇所では、まだ12歳のイエス様がいなくなってしまいます。聖書を文字通り受け取るなら、神殿で見つけるまでに3日の時間がかかりました。大きな不安を感じたはずです。更に、いなくなったことを心配したとイエス様に伝えると、「なぜ探したのですか、私が父の家にいるのは当然のことです。」と理解を超える返答が返ってきます。一体どうしたら良いのか?どう関わればよいのか?マリア様は不安に感じたことでしょう。
思い返すと、マリア様は生涯不安と闘い続けた方ではないでしょうか?
天使からお告げを受けた時に、マリア様は戸惑ったとあります。
ベツレヘムでは、出産を控えていたのに、まともな宿を取ることもできませんでした。
イエス様が生まれてすぐにエジプトに避難されます。
公生活が始まり、イエス様の活躍を聴くと同時に、イエス様を傷つけようとする人たちのうわさも聞いたことでしょう。
最後にはイエス様が十字架にかけられ、人々から罵声を浴びせられるのを目の当たりにします。不安を超えて、悲しみ、苦しみ、痛みすら感じられたのではないでしょうか。
マリア様はどのようにして大きな不安を耐えたのでしょうか。
マリア様が強い方だったからでしょうか。そうかもしれません。しかし、これが人間的な強さだったとは思えません。人間の強さには限界があるからです。
お告げを受けた時にマリア様は戸惑ったとありますが、このように続いていきます。
『わたしは主のはしためです。お言葉どおり、この身になりますように。』
神様を全面的に信頼し、神様の意志を実行してくださいというマリア様の信仰が宣言されるのです。神様と繋がっていたからこそ、不安を越える力を頂いたのではないでしょうか。
 このようなマリア様の姿を、一生懸命に生きる母親の皆さまに重ねずにはいられません。不安があっても負けずに進んでいくその姿に、励ましを頂くことが多々あります。
 いつもありがとうございます。これからもお元気でいて下さい。マリア様のような心で、これからも私たちの教会のお母さんであり続けてください。
(少々長くなりましたので、父に関しては次回に持ち越させていただきます。)
 

金 建

6/13(日) 年間第11主日 マルコ福音書4章26-34節について 

「神の国を何にたとえようか。どのようなたとえで示そうか。それは、からし種のようなものである。土にくときには、地上のどんな種よりも小さいが、蒔くと、成長してどんな野菜よりも大きくなり、葉の陰に空の鳥が巣を作れるほど大きな枝を張る。」(マルコ4:30-32

                             
 イエス様は「からしの種」を「神の国」にたとえ、聞かせてくださいました。神様は毎回、毎日、いつも、永遠に私たちと繋がっていらっしゃいます。私たちは、自分の日常は平凡で代わり映えのしない日常だと思うかもしれませんが、その中でも神様は美しい愛として近づいて来られます。私たちはその愛に、信仰をもって応えなければなりません。しかし、愚かな私たちは、神様を仰ぎ見るのではなく、世俗的な誘惑のみを見てしまいます。世界の全てのものを抱いている神様を感じず、自分の欲と利己心を満たすものだけを慕っているのです。
 
 蒔かれた種が自分で育って実を結ぶように、私たちが感じる前に神の国は私たちに近づいているのですし、近づいたのです。いつも神様は私たちと一緒にいらっしゃいます。
 からしの種というのは、小さすぎて些細なものに見えるのですが、時間が経つと、鳥が巣を作り、子鳥を育むことができるほど大きな木になります。このように、小さくて些細なことしかないと思われる私たちの日常の中に、私たちが到達すべき神の国がすでに完成されているということを伝えるたとえ話だと思います。
 
 神の国に入るためにはどうやって進めばよいでしょうか。「いつかは私の順番が来るはずだ」と思いながら漠然と待っているだけ。そういう甘い考え方は良くないです。
 今、つまり現在、毎瞬間、神の愛を受けているすべての時、神から授けられた愛に報いる気持ちで、私たちと繋がっている周りの人すべてと愛をもって関わりながら、神の国を建ていかなければなりません。(頭では分かっていても、実践していない僕ですが)実践せずに「次にやろう」という考えだと、これ以上ないほどの大きな後悔のみが残されるでしょう。

神学科三年 幸真宏

カトリック大分司教区の皆さま、
いつもお世話になっております。教区神学生の(ゆき)(まさ)(ひろ)です。
教区の皆さまのご支援のおかげで、神学科最終学年を迎えることができました。
皆さまの今日までのお祈りと犠牲(ぎせい)に、心から感謝しております。
 
私は2015年から、ナバラ州(スペイン)のビダソア(BIDASOA)国際神学院で司祭になるための養成を受けて参りました。ビダソアは世界中の教区から神学生たちが集まり、日々の祈り、聖なる学問、司祭的兄弟愛を(つちか)う場所です。私たちにとって、本当の「家」と呼べる場所で、神学院を出た後でもこの兄弟的な(きずな)は、司祭職を生きる者にとって大きな助けとなります。神学生は全員で100名。アジア、アフリカ、アメリカ、ヨーロッパなど様々な肌の色、言葉、文化の異なるの兄弟たちと出会うことができました。日本人は私だけですが、カトリック教会において、互いを(さえぎ)る「国境」はありませんでした。
 
入学当初は、大変苦労いたしました。言葉、風習、挨拶(あいさつ)の仕方なども分からず、よく風邪を引いて寝込んでいた時期もありました。ですが、そのような時だからこそ、神学院の兄弟たち、霊的な父と呼べる神父様方から手を差し伸べてもらいました。私のつたないスペイン語を理解するまで聞いてくれた忍耐強い兄弟、夜遅くまで勉強を手伝ってくれた賢い兄弟、御ミサでの侍者(じしゃ)奉仕を丁寧(ていねい)に教えてくれた信心深い兄弟、そして肺ガンを(わずら)いながらも、常に明るい笑顔で私たちの霊的同伴をしてくれたファン・アントニオ神父様(♱2019)。この6年で、多くの出会いと別れを経験しましたが、彼らと過ごした日々はかけがえのない思い出です。辛いことがあっても、支え、祈ってくれる兄弟がいる喜びは、神様からの愛のこもった贈りものです。
 
浜口末男司教様は私に宛てた最後の手紙で、「ザビエルの生誕国にいて、ザビエルの匂いをしっかりつけてください」と、お書きになりました。ナバラと大分の歴史は、聖フランシスコ・ザビエルの時代まで(さかのぼ)ります。ザビエルはナバラ出身の貴族で、彼の住まい、洗礼を受けた教会なども現地に大切に保管されております。ザビエルは来日後、当時まだ豊後(ぶんご)と呼ばれていた大分に大友宗麟(おおともそうりん)の招きによって来られ、その後、多くの日本人が回心しました。日本の教会にとって偉大な先駆者であるザビエルの生地で、司祭職養成に励むことができたお恵みに、毎日感謝の祈りを捧げています。
 
改めて、司祭団、修道者、信徒の皆様に心から感謝申し上げます。
これからも司祭養成のための霊的、物的なご支援、どうぞよろしくお願いいたします。
聖母マリア様の取り次ぎのうちに。
 
 
 
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