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神学生ニュースレター【1/30更新‼】

神学科二年 山頭牧夫

大分ニュースレター2月号

 先日はあまりの寒さに神学校の蛇口が凍り付いてしまいました。蛇口を開けて水を少し出していたのですが、次見るときには立派なつららが口から出ていたのを見て、感心するやら驚かされるやらでした。春まではもうしばらく時間がかかるようです、皆さまいかがお過ごしでしょうか?お変わりなければ幸いです。

 さて年が明けてひと月しかたっていないのですが、神学校の一年は大詰めを迎えております。そう、2022年度が神学校では一足先に完結を迎えようとしているのです。もちろん何もせずに迎えられる訳ではありません。テストに、各部署の引継ぎ、選任式のための黙想会の準備と必要なことが目白押しです。

 これらに加えて、司牧実習先の教会の皆様とのお別れがありました。段々と学年が進むにつれて、分からないことがなくなっていくものとばかり思っておりました。確かに多少の知識は増えたのかもしれません。しかし、分かったこと以上に自分が知らないこと、自分が出来ないことが有るのを、今回の実習で教えていただいたような気がします。

 小学校高学年の子どものクラスを受け持ったことはあったのですが、今回は低学年の担当となりました。教え方、話し方、子どもたちの成長の段階に応じた対応を考えさせられます。抽象的な表現の理解が難しいため、これまでに経験のあることに置き換えて話をする必要がありました。わたしの中に持っている理解を、より深いものにする必要があったのです。

 そして、自分がこれまで経験したことのない事を任されることもありました。ミサ曲の指導です。確かに朗読奉仕の中に、聖歌の指導の項目が入っているのですが、まさか実際にやることになるとは思ってもいませんでした。

 音楽の知識を持っている方の前で、いったい何をやればよいのか分かりませんでした。実際にやってみたところ、聖堂の前の方から大きな声を出して歌うことしか出来ませんでした。

 分からないこと、出来ないことを気付かされた気がします。けれど、それでもどうにかやって行けたのは、実習先の皆さまが温かい目で見てくださったことに他なりません。私に出来ることは感謝を述べること、この思いに応えることだけではないかと思います。

 そして、このメッセージをお読みくださっている皆さま、いつも神学生のことを気にかけてくださり、本当にありがとうございます。まずは無事に大分に帰ることが出来るよう、目の前の課題に取り組んでまいります。それでは、お会いするときまで体調に気を付けてくださいませ。

大分教区ニュースレター 1月号 「新年」


 

 元日の朝、起きるとなんだか体がそわそわしてしまい、外へ出かけていきました。人も車もほとんどおらず、不思議な感覚のまま大分川に到着します。すると、そこで初めて見えた朝日のあまりの美しさ、力強さに「今年も頑張るか。」といった心持にさせられました。

 

 皆さま新年あけましておめでとうございます。旧年は大変世話になりました。そして、私の憶えている部分、憶えてない部分で大きくご迷惑をおかけしたと思います。お詫びと、私をお許し頂いたことへの感謝を申し上げます。力の無い私と、成長の真っ最中にある小神生達をこれからもお支え下さいませ。少しでもお返しできるよう、養成を続けていく所存であります。「いつも本当にありがとうございます。」

 さて年末から年始にあたって、ベネディクト16世の訃報が世界に巡りました。在位期間は8年とそれほど長かったわけではないかもしれません。しかし、私にとっては初めてお会いした教皇様であったため、いまでも鮮明に思い出すことの出来るエピソードがあります。ワールドユースデイ(世界青年大会)がドイツで開かれたときに、私も参加させていただきました。たまたま運よく教皇様に謁見できるチャンスがあると聞き、気持ちが高まったのを憶えています。

 遠巻きに見るだけでも十分に嬉しかったのですが、なんと教皇様が私たちの所に近づいて来られるではありませんか。それだけではありません、規制線の外に立っている私たちに向かって手を伸ばされました。教皇様の手に触れるために、恥も外聞もなく自分の手を必死に伸ばしたことが思い出されます。

 教皇様が亡くなられたことを伺った時に、このエピソードを思い出しました。私はこれは何かのメッセージではないかと思うのです。「教皇様に会って、手に触れたい。それ自体は悪いことではないし、気持ちも理解できる。けれど、あなたはいつも教皇様よりも偉大で大事な方に会っているはず。その方にお会いする時を大事にしていますか?」このようなメッセージが送られたような気がしています。

 新しい年に、自分の原点に立ち返るよう言葉を頂いています。イエス様が来られることを聞いて、探し、その体に触れられるように一生懸命に手を伸ばすこと。これを今年の目標として新年をスタートしていきたく思います。ベネディクト16世が神様のみ前で、私たちの祈りを取り次いでくれていることを信頼しながら、祈りのうちに。アーメン。

ニュースレター12月号 「友人」

 「友人」

 

 段々と布団から脱出するのに、勇気が必要になるこの頃、いかがお過ごしでしょうか。

先日開催された神学院祭も、大きなトラブルもなく無事に終えることが出来てほっとしている所です。準備を手伝ってくださった方々、講演を快く引き受けてくださった森山司教様、そしていつも支えてくださる皆様、この場を借りて御礼申し上げます。

 先月号のニュースレターでも書いたことですが、個人でできることの限界と、協力してくださる方がいることの有難さを痛いほどに実感致しました。私にできることは、皆様、そしてすべてを作られ、与えられた神様に感謝することでした。これからも力をお貸しください!

 さて、ついに新しい表現を用いるミサがスタートしました。手元の冊子を読んでいるときには問題ないのですが、気を抜いてしまった時にこれまでの応答が口をつくことが無いでしょうか… 率先して間違えることの無いように、気を付けて感謝の祭儀に与りたいですね。

 時間が過ぎるのは本当に早いもので、今年も残すところ後わずかとなりました。教会の典礼暦では、待降節と言う新しい暦がスタートしております。ある意味では、新しい年が始まっているとも言えそうですね。また新しい気持ちで、歩みを進めていくのはとても大切なことだと思います。

 私の方でも先日、新しい気持ちにさせてくれる出来事がありました。親友に15年ぶりに再会することが出来たのです。生活する場が離れたこと、友人が結婚したこと、私が人生において迷っていたこともあって疎遠になっていました。再会するにあたって、少々の気まずさの様なものもありましたが、会って本当に良かったです。

 彼は本当に立派になっていました。勉強の苦手だった彼ですが、努力して彼が望んでいた人と関わる仕事に就いておりました。結婚し二人の子を育て、空いた時間には仕事に繋がる勉強をやっているとのことでした。

 「立派になったなあ…。かなわないな…」嬉しくもあり、頭が下がるような思いでした。

そんな思いをしている中で彼から意外な言葉を貰ったのです。「俺にできないことを牧夫はやっている。俺の関わり方で助けれない人が出てきたら、牧夫に頼みたい。人間にできることにはどうしても限界がある。神様の救いじゃないとどうにもならん人が確かにおる。」

 この言葉を貰って心底嬉しかったんです。神様の力をこんなにも信じてくれる友人がいる。そして、その友人が神様のことを伝えようとしている、私の可能性をずっと信じてくれている。そしてこの友人を私に与えてくれた神様に感謝をしたいです。あなたがすべての人に用意した道を、皆が精いっぱい歩いていくことが出来ますように。アーメン。

 

 

幸 真宏 助祭

News Letter 11月号

 「ラザロの復活」、ドゥッチョ作

11月は死者の月

 

読者の皆様、ご無沙汰しております。


あっという間に11月になりました。11月は、カトリック教会では死者の月とされていて、亡くなったすべての人のために祈る習慣があります。日本のお盆とよく似た期間に当たります。


どれほど科学が発達しようとも、人間は死から逃れられません。誰にとっても、恐ろしいものであり、悲しい現実なのですが、キリスト教においては、死はむしろ終わりではなく、新たな人生の始まりです。


通夜の祈りではそのことを表明しています。「キリストは『わたしは復活であり、いのちである。わたしを信じる者はたとえ死んでも生きる』と教えられました。別離の悲しみのうちにもわたしたちは、このキリストのことばに慰めと希望を見いだします。

(カトリック儀式書『葬儀』)

 

 皆様のお祈りとご支援、いつもありがとうございます。今後とも、私の回心と聖性のためにお祈りください。

 

ヤコブ・イグナチオ 幸 真宏 助祭

 


 

 
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