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神学生ニュースレター

神学科一年 山頭牧夫

大分教区の皆さま、
いつもお世話になっております。福岡カトリック神学院、神学科一年の山頭牧夫です。
この度は皆様と共に、それぞれの召命を歩んでいくための場所を頂けましたことを嬉しく思います。
具体的には神学生と皆様の、分かち合いの場となれば幸いかと思います。まず私たち神学生が発信していきます。そして大分教区に帰った時には、皆様の思いを私たちと分かち合い、共に支えあっていければ大変嬉しく思います。
早速、私の近況の報告をさせて頂きます。大神学校は新しい学期を神学生6名でスタートしました。多くはありませんが、よい共同体に出来るよう関わりを続ける日々を送っております。
また、休学して別の地で自分の召命と向き合っている兄弟たちもいます。どうぞお祈りをお願いいたします。
神学科に入り、より具体的にこれからの道に関わる学びが始まりました。嬉しさ、難しさ、自分の理解の足りなさに歯がゆさを感じたり、目まぐるしい毎日です。養成してくださる神父様方にも指導と励ましを頂きながら歩んでおります。
辛い時もありますが、そんな中で嬉しく思う事がありました。自分の祈りが少し変わったのです。
これまでは、神様に「どうしたらいいんですか?何故なんですか?」このような自分のことばかり祈っておりました。恐らく自分の生活の在り方も、自分中心のものであったと思います。心の中が自分中心であるならば、周りの人との歩みが上手くいくはずはありません。ある神父様に「あなたが祈っている時に、同じ苦しみを持っている人がいる。そして、あなたが祈っている時に一緒に祈ってくれている人がいる。一人で祈っていても、独りでいるのではないよ。」
少しだけ見方が変わりました。祈りの時に、これまで会った人の顔が浮かぶようになりました。自己中心的な祈りを続けてきましたが、他の人と共に祈る事に気付いて心強さを感じるようになってきました。
まだまだ足りない所ばかりですが、自分を中心にするのではなく、別のものを真ん中に置くことで力が与えられる事に触れられました。
使徒たちは、希望を失って部屋に閉じこもっていた時期があります。これから自分はどうしたらいいのか分からなくなってふさぎ込んでいました。
イエス様はその中心に来られました。イエス様が、自分達の心の中心に来てくれたので、使徒たちは大きく変わっていきます。
私も少しずつでいいから、自分の中心に仲間やイエス様を置くことでこれまでよりも力強く共に歩んでいきたく思います。
いつも支えられていること、感謝に堪えません。いつもお世話になっているのですが、神学生の減少により教区の負担額が増えてきているとの事でした。
これからも霊的、物的なご支援、特に、司祭召命の道を含む者の為にお祈りをお願いいたします。
微力ではありますが私も皆様のために祈らせていただきます。

金 建

大分教区の皆さま、
いつもお世話になっております。大分教区神学生の金建です。今日は、みことばについて、皆様と分かち合いをさせていただきます。

人が私につながっており、私もその人につながっていれば、
その人は豊かに実を結ぶ
 
イエス様、つまり神様は私たちに無限な愛をくださいます。その愛は、はじめもなく、終わりもない、いつまでも永遠な愛です。それゆえ、私たちはその愛の長さや重さ、そして大きさなど、はかり知ることはできません。もちろん、人間社会の中でも色々な美しい愛がいつも咲いているのです。けれどもこの愛は、親と子との愛、恋人との愛、貧しい人に施す愛など、人と人の間に行われるすべての愛を超える、一番大きな愛なのです。
 そして、決して、条件のついた愛でもありません。「人が私につながっており、私もその人につながっていれば、その人は豊かに実を結ぶ」というのは、「私はいつも人につながっている」つまり、イエス様はいつも私たちの側に、私たちと共にいらっしゃるという無条件的な愛を言っているのです。
 これは、基本的に「神様は全ての人を愛している」ということを前提とします。今、私たちが生かされていて、美しい自然を与えられていることに感謝すること、両親を愛すること、兄弟を愛すること、人を助けること、人を赦すこと、そして幸せになることはもとより、些細なことにも幸せを感じることなど、人間が色々な愛を行うことができる理由は、私たちが神から「神の愛」を授けられたからなのです。
 ちなみに「神様の別の名前はいつくしみである」という言葉もあります。上に書いたように「神の愛」、それがいつくしみです。それゆえ、いつくしみ、それ自体が神様なのです。つまり、神様のみが私たちに施してくださる唯一の愛、それがいつくしみだということです。従って、私たちは日常生活の中で神の愛である「いつくしみ」を感じることができます。周りの小さなことから、イエス様が愛したように愛してみてください。そのような形で始めてみましょう。それこそが、イエス様と私たちがつながっていることが感じられる恵みであり、祝福なのです。
いつも多くの霊的、物的支援をありがとうございます。これからもどうぞよろしくお願い申し上げます。皆様方の支援の一つ一つによって、司祭職への道を一歩ずつ歩んでいくことができます。私も皆様のために祈っております。
 
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