カトリック大分司教区の最新ニュース・お知らせ
皆様、いつもお世話になっております。季節も夏から秋へと、少しずつ変化を見せる今日この頃、いかがお過ごしでしょうか。休み期間中、皆様に声をかけて頂く度に元気をもらうのを実感します。「おかえりなさい!」この言葉を聞くと、自分の拠点は大分であることを実感します。ふと気づけば大分に来てもう三年目となりました。これまでに様々な事がありましたので、特にここ一年の振り返りを行ってみたいと思います。
明るい話題ではない為、この事に触れて良いものか迷いもしたのですが、どうしても頭の中から出ていってはくれませんでした。浜口司教様の事に触れさせていただきます。先ずは司教様、あなたが旅立たれてもう暫くすると一年が経とうとしています。本当にあっという間に時が過ぎたような感覚です。私は小神学校にいた時からお世話になっており、今、大分教区に私が居られるのも司教様をはじめとする皆様のおかげなのは間違いありません。返しきれないほどの恩があります。どう返していけばよいか悩んだこともありますし、返す相手であるあなたは神様の身元に居らっしゃいます。支えを失って不安を感じました。きっと皆さまもそうであったと思います。
けれども、司教様の姿は見えなくなったけれども、その意志はいまも大分に息づいているではないでしょうか。そして、その意志を私たちが引き継いでいくならば、司教様も少なからず安心できるのではないかと考えます。大分の掲げる優先課題を見つめ、それについて何が出来るのか?直接的にでも、間接的にでも出来ることから皆が行動を起こせば、教区は一致に向かうと司教様はおっしゃられました。この考え方は、教皇フランシスコが使徒的勧告で触れた「あらゆるものはつながっている」という言葉に通ずるものがあるのではないでしょうか。教会の前進に先駆ける一歩が大分から始まっていくことを願いながら、浜口司教様の意志を大事にしたく思います。
そして、わたくしごとですが、この春に神様の恵みと皆様のお祈りのおかげで神学生としての認定を頂けました。神学科で学ぶ内容は、これまでよりも司祭として実践的な内容を扱っていきます。そのため司祭として生きていくためには、自分自身に何が必要であるかを思い知らされています。考え方、知識、相手への伝え方、自分自身の中心に何を置いているのか、足りないところを知ること、しっかり受け止め、認めていくことから始める必要を感じております。
まずは出来ることを探して行動を起こし、その上で難しそうであれば他者、神様の力添えと共に問題に対応していきたく思っております。このことが何かを善い方向に変化させ、ひいては「あらゆるもの」につながっていくことを信じ、歩みを進めてまいります。
最後になりますが、いつも支えて頂き感謝しております。皆さま「本当にありがとうございます!」
召命 ~神に召し出される命~
大分教区本部事務局
事務局長 山下敦
召命とは字のごとく、神様が召し出してくださる命のことです。すべての人に、固有の召命があります。神様は私たち一人ひとりに偶然命を与えたのではなく、明確な目的と使命をもって私たちをこの世に遣わされたのです。
さて、自分の召命をはっきりと見出している人はどれくらいいるでしょうか。召命について聞いてみるとこんな答えが返ってきました。
- 「よくわからない・・・」
- 「その時その時、必死だった。これまで一生懸命生きてきたから今がある。」
- 「自分の夢や理想を追い求めてきた。もちろんすべては叶わなかったけど、それも神の導きだと思う」
自分が何のために生き、また、生かされているのか。この問いに答えるのは簡単ではなさそうです。最後の“神の導き”という言葉に少し注目してみたいと思います。神から与えられる召命について、はっきりと言い切れるほどの認識を持っている人は少ないのですが、なんとなく神様が守り導いてくれたという感覚は、多くの信者の方にあるようです。そのような神の御摂理という観点からの振り返りは大切だと思います。ただし、それを未来に向けて考えることも必要です。すべては神の御手の中にあります。この国も、世界も、そして、私たち一人ひとりの命も、みな神の御手の中にあります。さて、神は私たちをどこに導かれたいのでしょう。何をしてほしいのでしょう。私たち一人ひとりには、神の御国の完成のために与えられた大切な大切な使命があります。それを自分のためではなく、人のため、神のために果たすとき、神様の国は完成していくのです。
召命は、若者だけが考えるべきことではありません。神がどこに導き、何を願われているのか…。子どもも大人も高齢の方も、日々、毎瞬間考えるべきことだと思います。その一つひとつに応えていくとき、私たちの召し出された命も完成していくからです。
さて、皆様方のお祈りのおかげで、大分教区には現在5人の神学生(大神学生3名、小神学生2名)が与えられています。召命の実りのためには何よりも多くの方々の霊的支援(祈りと犠牲)が必要ですが、同時に物的支援も不可欠です。神学生の召命の応援のため神学生養成寄付金(一粒会費)をもう少し増やしていただければ幸いです。5人の召命が実りますように、どうぞ、今後とも霊的・物的支援をよろしくお願い申し上げます。